足りないもの ‐ 「クリティカルシンキング」

こんにちは。峻太郎です。

 

最近インフルが流行ってるみたいですね。

自分の周りでも流行りだしています。こんなにあったかい時期なのにちょっと不思議な感覚です。

みなさまもお気をつけ下さいm(__)m

 

 

 

 

さて、今回は「クリティカルシンキング」についての話です。

 

 

よく研究室の先生に

 

「クリティカルに考えなきゃダメだよ」

 

と言われますが、自分に足りてないのはこの部分かなと最近感じているところです。

 

 

クリティカルシンキングとは簡単に言えば、何事にも疑い深く批判的に考えなさい、ということです。

 

たとえば世に出回っている論文にも間違いはありますし、論文を見ながらそういった点に自分で気づけないといけない。

ここで言う間違いというのは、表記ミスとかそういうものではなくて、内容について「本当にそうかな?」と疑うような間違いのことです。

 

 

でも実際に論文を読むときって、「何か新しいことを知りたい!」「自分の研究に生かしたい!」という動機があるので、書いてあることは正しいものだと思って読むわけですし、少し違和感を感じても何か間違ってるとかそういう思考には至らないんですね。

ゼミ中でも先輩や同期は、「論文にはこう書いてあるけど、自分は違うと思う」って言い切れる人がほとんどですが、自分にはそれができない。

 

よくよく考えてみると、自分は昔から先生を含めて大人が言ったことは絶対正しいと思う傾向にあって、

そのほうが教えている先生の方にとっても「ちゃんと伝わってるんだな」って安心してもらえますし、何より自分よりも何十年も生きてきた人生の先輩の話を疑いながら聞くなんて失礼だ!と思ってたわけです。

 

予備校時代に聞いた話ですが、林修先生は高校時代、数学の先生が嫌いだったという理由で教室の後ろにあるサブの黒板に先生の間違いを指摘して書いてたそうです。先生自身は「自分はどうしようもない悪ガキだった」と言っていました笑

この場面、クリティカルかどうかは別にしても、少なくとも「先生の言うことは間違っているかもしれない」という前提があるからこそできる行動だと思うんですよね。

 

 

当然、先生だって人間なので間違えるときだってあるはずですが、ほとんどは正しいことを言っているわけです。

でも、正しいことに惑わされて、そこに隠れている間違いに気付くことができないと、正しいことと間違っていることとの区別がつかなくなってしまう。

 

ふっと湧いてくる「本当にそうかな?」っていう小さな疑問をなおざりにしないで、ちょっと立ち止まって考えてみることが大事かなって思います。

 

 

 

そんなわけで、疑って考えられるような人になりたいです。

これは瞬発力なんかも必要かもしれませんね。

 

 

というわけで、また!( ´ ▽ ` )ノ